3年前 介護食品のあり方 のような検討会に参加していた記録をよんでいた。
食べることへの支援 のあり方を改めて考えている
今、身をもって浅草の住民の急速な超高齢化の真っただ中にいて思うことは、食事 というものの考え方の多様性とか 食事をとることはその住民本人という視点であり、そのことが重要視されるべきである ということ。高齢になったからということも大事だけど その方がどうゆう生き方の中でどのように食事をされてきたか・・・どんなことに食べる楽しみを持っているのかとかそうゆうことかなあと。
単に ヘルパーさんに買い物を頼むこととか
単に お弁当を配達するとか レトルト食品や食材をよういするとか だけでなく どこでどんなふうに食べるのかというような仕組みを考えることも大事なんだろうなと。
いっしょに蕎麦屋さんに行くようなこととか
楽しみにしていた花見におにぎり持ってゆくとかそうゆうこととか 一緒に料理をするとか
何より大事なことは 自分が作ったものを食べてくれる人がいるとか そうゆうことではないかと。
2017年06月24日
2017年06月23日
ケアマネさんもがんばろう 薬剤師も新たな時代に
薬剤師の業務が 減算という考え方ではなく、適正に行ったら加算という考え方であると同時に 一つ一つの行為について 調剤報酬という以外にも 法律に定められたものを順守するプロセスがあり、かつ 手順書については厳しくそれが求められるようになってきている。
介護保険サービス については 比較的新しい といっても10年以上は経つが もので 一報国民への啓発が進んでいないために、介護支援専門員の質に 相当な幅があることは 現場の人間 そして介護支援専門員の方々もよくわかっていることだとおもうわけで。
減算という考え方から脱皮し 人権擁護やチームのコーディネート能力を評価するような仕組みが大事になってきたような気がする。ケアプランをその担当ケアマネだけでなく その事業所責任についてもきちんと把握できるようにすることや 異動や担当替えの時にも本人は当然だが、他職にも理解を求めるような行動 立ち合いなど そして 何よりも透明化が求められてくると。
そのためにも 国民も自ら マイケアプランなどの学習をできる機会を増やしてゆく必要があるなあ。
このあたりも 毎日目の当たりにしている長い付き合いの
かかりつけ薬剤師の 腕の見せ所のような気がしている。
薬剤師も いい加減 「調剤報酬がつかないのに何でやるのか」とかいう発言する薬剤師から大きく脱皮し、次世代の 在り方をめざし
薬機法に定められた かかりつけ薬剤師 健康サポート薬局を
真に受け止め 研鑽をつみ実践してゆくのみであります。
前向き やる気のある薬剤師が台頭してゆけるような社会にしてゆきましょう
介護保険サービス 利用者 の権利擁護 ケアマネと利用者間での不透明な患者への説明に疑問
対人援助職と 人権擁護
最近 身近な職業でこのことについて深く悩む ことがら を経験している。
2年間 市民後見人の仕事を学び、生活支援員を務めるものとして、地域住民のかかりつけ薬剤師を担うものとして、今回のような不透明なことが起きないよう、人権擁護の立場も がんばって声をあげてゆかねばと改めて思うところである。台東区社会福祉協議会ももっと宣伝せねば。がんばろうっと
たとえば、薬剤師。
かかりつけ薬剤師 の制度は「物から人へ」と称されるように「医薬品の物流」「調剤処方服薬指導」という事への注力業務から「お世話役=24時間相談であったり、他職や社会資源へのつなぎといったいわゆる対人援助職」への業務の拡大を意味している。急速な高齢化でインフラがおくれがちなところに、あるいは情報過多であるところにお世話役の一人になりましょうということである
市民後見人、生活支援員
社会福祉協議会などを中心に市民の人権擁護を強めよう
という動きが活発化している。認知力低下などにより生活が大変になってくる高齢化社会で生きる住民の権利擁護の動きである。まだまだであるがじわっと広まりつつあるが、まだいまだに そのかかりつけ薬剤師職も 介護支援専門員でも十分に認識していないために その良さを活用できていない住民が数多くいるわけだ。
そして今回の課題は 介護支援専門員 のあり方である。
たとえば、介護支援専門員が転職=いわゆる引き抜きや新規開業などするとき、退社するとき。
住民にきちんと 自己選択の機会創出のための 謝罪、説明、インフォームドコンセントなどが行われているのか。ということである。その方たちは言う「ちゃんと本人の納得を得ていますので」「家族もいいって言ってますから」
この意味を問いたいと思って「かかりつけ薬剤師」として葛藤しているのだ。
本来、認知力が低下していて判断がつきにくくなった・・・あるいは、高齢で色々課題があるがサービスの仕組みがよくわからないので 介護保険の制度によるサービスを利用することになった人たちだ。YESというしかないではないか。多少疑問があってもわからないのだから援助を受けている人たちなのだ。その答えを単独で求めるのは 酷というもので、 「〇〇ですのでいいですね」っていったんだけど、「いいっていってよかったのかしら 本当は嫌なのに、なんでこんなことになっちゃうの」という 当事者からの声があがった。まさに「かかりつけ薬剤師」のお世話役の力の発揮処となるだろう。かかりつけ薬剤師もチームの一員。そのチームメンバーも納得してチームの再編成を考えなくてはいけない立場だ それこそ人権擁護である。
今回は、地域の公的立場の方たちの支援もあり解決の方向にむかっている。本人の気持ちが一番大事なのだ。それを決してケアマネの人たちに忘れてほしくない。
李下に冠たださず。
担当変更はやむを得ない
相当信頼されているケアマネが事業所をかわるときに数名つれてゆくのもしかたがないかもしれない
しかし、利用者は「もの」ではない「くいっぷち」の頭数でもない。ケアはチーム複数のメンバーが合意して行うものである
いまや 介護支援専門員の業務は かかりつけ薬剤師を始め多くの身近な人たちのコーディネートをすることで 逆にお互いの監視のもと 利用者に不利益が出ないよう それぞれが精一杯するような世の中にかわってきた。
みな 見合っているのである。
2年間 市民後見人の仕事を学び、生活支援員を務めるものとして、地域住民のかかりつけ薬剤師を担うものとして、今回のような不透明なことが起きないよう、人権擁護の立場も がんばって声をあげてゆかねばと改めて思うところである。
かかりつけ薬剤師が 長い間 支えてきた患者の 認知力が低下に気づいたときの行動に選択肢のひとつに 社協や生活支援員や後見のことがあることを もっと多くの薬剤師にひろめてゆきたいと改めて思っている。
最近 身近な職業でこのことについて深く悩む ことがら を経験している。
2年間 市民後見人の仕事を学び、生活支援員を務めるものとして、地域住民のかかりつけ薬剤師を担うものとして、今回のような不透明なことが起きないよう、人権擁護の立場も がんばって声をあげてゆかねばと改めて思うところである。台東区社会福祉協議会ももっと宣伝せねば。がんばろうっと
たとえば、薬剤師。
かかりつけ薬剤師 の制度は「物から人へ」と称されるように「医薬品の物流」「調剤処方服薬指導」という事への注力業務から「お世話役=24時間相談であったり、他職や社会資源へのつなぎといったいわゆる対人援助職」への業務の拡大を意味している。急速な高齢化でインフラがおくれがちなところに、あるいは情報過多であるところにお世話役の一人になりましょうということである
市民後見人、生活支援員
社会福祉協議会などを中心に市民の人権擁護を強めよう
という動きが活発化している。認知力低下などにより生活が大変になってくる高齢化社会で生きる住民の権利擁護の動きである。まだまだであるがじわっと広まりつつあるが、まだいまだに そのかかりつけ薬剤師職も 介護支援専門員でも十分に認識していないために その良さを活用できていない住民が数多くいるわけだ。
そして今回の課題は 介護支援専門員 のあり方である。
たとえば、介護支援専門員が転職=いわゆる引き抜きや新規開業などするとき、退社するとき。
住民にきちんと 自己選択の機会創出のための 謝罪、説明、インフォームドコンセントなどが行われているのか。ということである。その方たちは言う「ちゃんと本人の納得を得ていますので」「家族もいいって言ってますから」
この意味を問いたいと思って「かかりつけ薬剤師」として葛藤しているのだ。
本来、認知力が低下していて判断がつきにくくなった・・・あるいは、高齢で色々課題があるがサービスの仕組みがよくわからないので 介護保険の制度によるサービスを利用することになった人たちだ。YESというしかないではないか。多少疑問があってもわからないのだから援助を受けている人たちなのだ。その答えを単独で求めるのは 酷というもので、 「〇〇ですのでいいですね」っていったんだけど、「いいっていってよかったのかしら 本当は嫌なのに、なんでこんなことになっちゃうの」という 当事者からの声があがった。まさに「かかりつけ薬剤師」のお世話役の力の発揮処となるだろう。かかりつけ薬剤師もチームの一員。そのチームメンバーも納得してチームの再編成を考えなくてはいけない立場だ それこそ人権擁護である。
今回は、地域の公的立場の方たちの支援もあり解決の方向にむかっている。本人の気持ちが一番大事なのだ。それを決してケアマネの人たちに忘れてほしくない。
李下に冠たださず。
担当変更はやむを得ない
相当信頼されているケアマネが事業所をかわるときに数名つれてゆくのもしかたがないかもしれない
しかし、利用者は「もの」ではない「くいっぷち」の頭数でもない。ケアはチーム複数のメンバーが合意して行うものである
いまや 介護支援専門員の業務は かかりつけ薬剤師を始め多くの身近な人たちのコーディネートをすることで 逆にお互いの監視のもと 利用者に不利益が出ないよう それぞれが精一杯するような世の中にかわってきた。
みな 見合っているのである。
2年間 市民後見人の仕事を学び、生活支援員を務めるものとして、地域住民のかかりつけ薬剤師を担うものとして、今回のような不透明なことが起きないよう、人権擁護の立場も がんばって声をあげてゆかねばと改めて思うところである。
かかりつけ薬剤師が 長い間 支えてきた患者の 認知力が低下に気づいたときの行動に選択肢のひとつに 社協や生活支援員や後見のことがあることを もっと多くの薬剤師にひろめてゆきたいと改めて思っている。